2015年9月25日金曜日

真摯に取り組む奴もいれば、大局見失う奴もいる

先日の共産党の志位委員長の記者会見動画では明確に沖縄を引き合いに出して、国民連合政府構想が可能であると言っている。
その動画を一度見た方がいい。ちょっと長いが、連休前だったはず、安保法成立した翌日という、かなり、早目の対応で戦略的には大正解な発表と判断だと思う。
この話が潰れようが共産党への評価は見違えるほど変わる。
迷える子羊の民主党とは雲泥の差がある。
志位委員長の発言から、その本気度と危機感が伝わるが、改憲派を抱える民主党、維新の党の弱さも見極めているはずで、安倍総理が参院選公約に憲法改正を入れるという発言も、そこを突いたもので、すでに官房機密費などを使って野党国会議員から確約を取っている可能性もある。
要は、自民党と共産党以外は、民主党、維新の党などはカスでしかない。
共産党はダメ元で野党を見切っている。
情勢を見極めながら、民主党がだらしないままで安倍自民党に負けが濃厚になれば、民主党と維新の党は切り捨てて、共産党の議席を増やした方が共産党を除く新しい野党勢力が立ち上がるかもしれない。
三歩退却し、自民党の圧勝になるのが仕方ないのであればだが。

そろそろ大国ぶるのは止めようよ

習近平中国主席が訪米しオバマ大統領と会談とNHKラジオから解説が流れる。
中国の習近平が求める対等な両国関係 G2に対し、アメリカはそれを中々認めず、世界に最も影響力がある二国間関係と言葉を変える。
このような話を聞きながら、日本がアメリカ日本求める対等な日米関係という、とんでもと感じの違和感のある言葉がまかり通る日本世論は正しい国際感覚なのだろうか。
言葉に対して、かなり、鈍感な内向きの自己中の視野ではないかな。
世界が受け入れられる言葉、外交、国際的に違和感のない言葉が必要ではないか。今の絶対中心主義とも言える世界観から、そろそろ脱却することが外交、安全保障からも考えたら方が無茶な冒険よりもいいのではないかな。
巨大国家に挟まれた緩衝国家でもよくない。
実際、安保法に求められているそのものだろう。

ガマの中

6 ガマの中では

 敏子の家族は空襲が始まって間もなくして移動してました。
 始めのうちは避難している家族も少なく、広々とした場所の確保ができました。

 ガマの中は空気もひんやりとして、春まだ浅い頃なのに寒さをそれほど感じませんでした。
 しかし、日がたつにつれて隣の座間味の人たちも続々とヌンルルーガマにやってきたのです。

 敏子の家族は次第に奥の方に詰められていきました。
 最初は布団などを敷いて寝ることもできたが、人数が増えてきて、足も伸ばせないほど自分の居場所が狭まれしまいました。
 とうとう座ったまま眠る状態になってしまったのです。
 奥になるにつれて風通しが悪くて、人いきれや持ち込んだ衣類や道具の匂いでむんむんとして、気分が悪くなります。

 おまけに、奥は避難している人たちのトイレになってしまいました。
ガマから少し外に出れば心地よい潮風を吸いながら用足しができるのに、わざわざ奥を使うのです。
 用便のその姿は、あたかも、冬の夜空の雲間からほの白い半月が浮かび
出て来るような寒々とした光景に映りました。
「恥も外聞もない」とはこういうことを言うのでしょうか。
 敏子たちの回りには複雑な、そして、異様な匂いが立ち込めていました。
ガマの中での生活は「大変」としか言いようのない惨めなものでした。
 
 こういう場所には幼い子供たちが我慢できるはずもありません。
 食べ物はもちろん母親の乳さえもらえない。
おまけに息がつまるような空気の中です。
 生後二ヶ月になったばかりの敏子の妹ノリ子と座間味のヌンルチ小の良光の
二人が泣き出しました。
すると、回りの男たちが声を荒立てて叫ぶのです。

「どこの子だ。泣く子は殺して捨ててしまえ。」
「この子たちの泣き声を聞いてアメリカーがやってきて、みんな撃ち殺されてしまうんだ」
「口をふさげ。でなければ、ここから出て行け。」
という怒声や罵声が矢のように乳飲み子を抱いている母親たちの胸に刺さります。

 敏子が声の主に目を向けてみると、その人たちは村会議員や座間味の有力者と言われている面々です。
 睨んでいる顔が鬼に映りました。
娘をひしと抱き、おびえている母の顔はかちかちになり、うす暗いガマの中でも青白く浮かんで見えました。
 
 決断した敏子の母は隠すように娘を懐に抱えてガマから出て行きました。
 次第に遠のいていく妹の泣き声を空ろな気持ちで敏子は聞いていました。

 母親キクは泣き止まぬ娘を抱いて隠れ家になる岩間をさがすことにしました。幸いに潮が引いていたので、浅瀬を歩いてガマから距離をとることができました。
 ある浅い岩陰に寄り添って、乳の出ない乳首に娘の口をあてて泣き止まそうと試みるが、苦しませるだけで娘は一層激しく泣くのです。

 米兵に発見されて殺されてもかまわな

いとあきらめて、娘の泣くがままにま

かせていました。
それでも、寒さで冷えた我が子をひしと抱いて夜空に広がる星に祈るような
気持ちで子守歌を歌って寝付かせようと声を出そうとしたが、歌になりませんでした。
 汀をなでる優しい小波が心地よく聞こえてくるばかりです。

 娘は泣き疲れて眠ってしまったのか、いつの間にか静かになりました。
吸い込まれるように母親も睡魔に襲われ深い眠りに入りました。
 寒さと波の騒ぐ音で目がさめました。 夜は明けてました。

 極限状態におかれた人間は他人に配慮したり、気遣いしたりする心の余裕
なんてまったくありません。自分や家族のことしか考えないのです。
 食べられるものが次第に不足してくると、側に腹をすかせている子供が泣いていても自分の口に入れてしまうほどの卑しい行動をとるものなのです。

 一歩ガマから出ると、そこには青い目をした恐ろしい「鬼畜米英」の兵隊が銃を向けて待ち構えているという幻想があるのです。
 ところが、そのヌンルルーガマの位置は三方が高い険しい崖に囲まれており
しかも、前面の海岸は引き潮でないと、人は渡ってこれない場所なのです。
さらに、ガマの前にはアダンの藪が入り口を隠すように茂っていて、格好の隠れ家になっているのです。
アメリカーでもやすやすと近寄れる場所ではないのです。

 ガマに隠れている数百名の食料や水の確保には大変な努力が必要です。
 上陸前に増産で作っていた作物も住民と日本兵の奪い合いで姿を消し、さらに、非常食として持っていた黒砂糖や鰹節も食べつくしていました。
 後は、どうにか隠し持っていた数えられるほどの米粒に野草をちぎって入れて作った重湯のようなジューシーが最高の食べ物となりました。

 それを作りに行くにも、ガマの前の海岸を脇まで海水につかりながら渡り
水場まで歩かなければなりません。
そして、食べ物が冷めないうちにと、熱い鍋を頭に乗せて海の中を歩いて
帰るのです。
 男性はほとんど防衛隊に入隊し、軍と行動を共にしているので、頼りになりません
食事の調達は女性だけの仕事になりました。
しかし、次第に米がなくなり、食べられる物も姿を消しいきます。
ガマに潜んでいる人たちは日に日に衰弱していくのがわかります。

 その苦しい状況を見かねた小父さんが一人で食料探しにガマを出て行きました。
しかし、ニ三日たってもなかなか帰ってきません。
 様子が気になりだした四日後に全身を傷だらけにして苦痛に満ちた顔で帰ってきました。
 ところが、手には食料らしいものは持っていません。
敏子の側に倒れるように横になった彼は苦しそうに息をしながら途切れ途切れにその状況を語ってくれました。

 海岸沿いは満ち潮で通れないものだから、泳ぎに自信ない彼は山越えをしようと崖をよじ登りました。
 ところが足を滑らせて十数メートル下に転げ落ちてしまったのです
 岩かどなどに体のあちこちを打ち付けられて、切り傷、打撲傷、捻挫などと
痛手を負い動けなくなっていました。
苦しみながらその場にいたが力を搾り出して、よろけるように歩きながらやっとガマについたのです
ガマからそう遠い現場でもないのにその事故に気づく者はいませんでした

 鬱血してはれ上がったぶぶんは割れたビンのかけらで切り裂いて血を出したが他の負傷した部分の治療の方法は見つかりません。
 薬とか包帯なんてまったくないガマの中です。
布を探そうにも、みんな着の身着のままの姿です回りの人たちは何もできません。
彼に声をかけてくれる人もいないし、まして、勇気づける者もいません。
数日間、うなり続けていました。
その声で敏子は眠れませんでした。

 やっと静かになったと思ったら、小父さんは敏子の側で冷たくなっていました。
悲しむ者はいません。
明日はわが身になるかも知れないと思っているのです。

 夜も遅くなって二人の小母さんがモッコに遺体を乗せて運び、近くの砂浜に
埋葬しました。
 その方は他人のために自分の命を失った座間味の大城松三さん(ウフグスク小)でした。
 
 瞬く星とさざなみがやさしく弔ってくれているようでした。

  宮城恒彦著「投降する者は」より

2015年9月24日木曜日

ヌンルルーガマへ 沖縄戦争体験記

五 ヌンルルーガマへ

 3月23日、地獄のような戦場の始まりです。
 その日の昼近く、阿佐村の上空を小型飛行機が四機通過していきました。
攻撃はありません。
 すると、海向こうの渡嘉敷の上空から数機の艦載機が阿佐村の上を旋回しながら座間味の方へ去っていきました。
しばらくすると、雷鳴のような爆発音がおこり、南の方から黒い煙が流れてきました。

 阿佐村への攻撃ではないのに敏子は近くの防空壕に飛び込んで、遠くに聞く攻撃の轟きに震えていました。
 しかし、飛行機が撃ち込んだ焼夷弾によって辺りの山野は大火事になりました。
 村の近くまで火が近づいてきたので、家族の者と一緒にウトゥミジ(ンチャーラ村の入り口)に掘っていた自分たちの壕に避難することになりました。
 そこには、非常食として大事にしていた黒砂糖や鰹節など前もって保管されていました。
 
 家族は8名でしたが、その頃は両親、四男の芳雄、次女のノリ子、そして、敏子の五人が島で暮らしていました。
長兄の芳信は出征中。
次男の芳盛は佐世保の砲術学校に入学。(後日、分かったことだが、戦争が近づいてから沖縄本島に移動させられ沖縄戦で戦死する。その場所不明)
 海軍に志願した三男芳三は沖縄戦が始まる前に鹿児島への渡航中、乗っていた船が米軍の潜水艦に撃沈され死亡しました。

 父は「もし、アメリカーが上陸してきて見つかったらいけないので、あなたたちは壕のずっと奥で壁にくっつくようにして隠れていなさい。」と子供たちに注意しました。
その時、父の頭がおかしくなったのではないか、と敏子は疑いました。
 だって、日本が戦に負けるはずがない、と信じていたし、さらに、米軍が押し寄せて来ても、友軍が助けにくるか、神風が吹いて米艦隊を沈めてしまうと、学校でも教えられ、さらに、日本兵たちにも信じ込まされていたから、まして、米軍が上陸してくるなんて夢にも思っていなかったので、父の言葉に反発したくなる気持ちがわいてきたのです。

 しかし、すさまじい数に艦載機の攻撃の様子からして、友軍の救援は当てにならないような気もしました。
 上空の何処にも日の丸の飛行機の姿は見えません。
 アメリカのグラマン艦載機だけが自由自在にガソリンを山野や集落にまいた後に機銃掃射とともに焼夷弾も撃ちこんであたりを火の海にしていくのです。
 火の勢いは衰えることなく、敏子たちが隠れている防空壕の近くまで襲ってきました。

 危険を感じた家族は夜遅くから悲鳴を上げているように燃え広がる山火事を
避けながら、島の裏にある自然の洞窟であるヌンルルーガマに移動すること
にしました。

 ありったけの食料や衣類や布団などを全員で分担して担いだり、背負ったりして運びました。
 母は乳飲み子の末娘のノリ子を帯でしっかりとゆわえて背負っています。
敏子は食料の入った鍋を大事に頭に乗せて暗い夜道を黙々と歩いていきました。
それぞれが自分の持っている荷物を運ぶのに精一杯で話をする者はいません。
 そして、これから襲ってくるであろう巨大な悪魔に追われるような恐怖心にかられていたのです。

 ヌンルルーガマに移動し隠れたものの、昼は米軍の空襲や艦砲射撃がひどいので、飯を炊く余裕はありません。
ガマの中の子供たちはひもじさで泣き叫びます。
 その声に押し出されるように敏子たちは夜間、水場を探して米を炊きに出かけます。
 水さえあれば、どんな状態のものでもかまいませんでした。
 持ち帰ったご飯を見たら、複雑な色をしていました。
飲み水としてカメに汲んできた水は鼻を近づけることのできないほどの匂いを放っていましたが、渇きには勝てません。
 回りの人たちが寄ってたかってきて飲み、瞬く間になくなる状態でした。
昼間その場所を見ると、そこは洗濯する場所であり、ヤギの屠殺場にもなっているのです。
ハエのたかった臓物が膨らんで浮いてます。
水を求めてやってきたのか、日本兵の死体も浮かんでいる時もありました。

 宮城恒彦著「投降する者は」より

闇雲に叩くことの愚かしさ

安保法が成立し、共産党の野党共闘の提案、国民連合政府案が民主党へ投げかけられてから、日本会議、民主党日本会議メンバーへの攻撃が過熱している。

気持ちは分かるが、果たして、それは今、優先すべき問題だろうか?
そもそも、日本会議のメンバーのほとんどは自民党議員で占められ、その活動が活発になったのは安倍政権になってからだ。
日本会議批判の本丸は自民党議員でなければ意味がない。
数人の自民党議員以外の旧来から野党
メンバーを取り分け引き出して批難し叩くメリットはどこにあるのか。自民党を利するだけではないかな。
もしかしたら、自民党の工作員かも知れない位にタイムリーに野党分裂への効果が見込まれる巧妙な作戦とも思われる。

自民党議員の日本会議メンバーを責めてた方がより効果的な作用が間接的に民主党の日本会議メンバーへ伝わるとは考えないのか。無言の圧力になる。
因みに、小沢一郎も日本会議メンバーである。野党の日本会議メンバーを今、責め立てれば野党共闘など成り立ちにくい。それは所詮、野党潰しの哀れな自虐行為にしかならない。
内部矛盾ばかりに目を向けずに外に視野を広げる時に手っ取り早く内なる異物拾いを始める左派のサガは絶望的な習性に気づくかないといつまでも自己陶酔のポジショントークでのマスターベーションでまた終わってしまう。
本気で共産党の言う野党共闘を望むなら北風作戦よる太陽政策を取るのが知恵ある国民ではないだろうか。
この時に及んで野党第一党への攻撃しか思いつかない勢力こそ野党日本会議メンバーより悪質な排除すべき言動で批難されるべき行為にしか見えない。
私が批判する日本会議は自民党、安倍政権下で活動を活発化した勢力で政権や選挙に影響を与える勢力と分けている

2015年9月22日火曜日

賑わう演芸会 沖縄戦争体験記

四 賑わう演芸会

 米軍の艦載機による英泉丸の襲撃事件は戦争近しの前触れとして島の人たちを不安に陥れましたが日本軍にとって戦場における一部の死傷者と考えていたのでしょう。
 関心もうすく村人のような動揺は見られませんでした。

 それでも、予定されていた軍主催の演芸会は実施されました。それは、日頃のストレスを噴出させたような盛況ぶりでした。
 出演者は「おらが県の十八番をみよ」とばかり熱が入っていました。
兵隊たちは、それぞれ故郷を思い出したのでしょう、自分の県の出し物には
盛大な拍手を送っていました。

 特に、それまで見たこともない女形の演技には笑いと拍手が続きます。
会場の人たちを歓喜の渦に巻き込み、そのどよめきが晴れた秋空に吸い込まれていきました

 座間味からは国防婦人会や女子青年団の友情出演もありました。
女子青年団の役員たちが教えたという「安里やゆんた」の踊りと唄は人気を博し、その後、兵隊たちが機会ある度に口ずさむメロディーとなりました。

 サー 君は野中のいばらの花よ
   サーユイユイ
 暮れて帰ればやれほにひきとめる
  マタ ハーリーヌチンダラ カヌシャマヨ

 特に、はやしの「ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨー」のくだりは
「ハーメーが死んだら神様よ」と方言に言い換えられ、喜んで唄っていました。
 
 回りをテントで囲っただけの仮設の簡単な舞台でした。
バックの風景もなく、手作りの粗末な装置・衣装での演出ではあったが出演者は真剣そのもので、軍律の厳しさを忘れ、一時の名優になっての熱演でした。

 九州出身が多かったのか「月がでた出た 月が出た・・・」の「炭鉱節」や「長崎物語」「紅い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る・・・」
の踊りや歌は好評でした。
楽器や伴奏もなく、ましてや、マイクなんてありません。

 肉声だけでの演技だったが初めて兵隊と島の人たちが一つになって浜辺の原っぱに展開された最高のエンターティメントでした。

 しかし、この行事は初めてで終わりの催しとなってしまいました。
数ヵ月後に地獄を見る島になるとは神ならぬ身の知る由もなかったのです。

 十・十空襲によって村の連絡船の鹿島丸が那覇の港で撃沈されてから、人や生活物資の正常な運搬や搬入ができなくなり、ますます暮らしは苦しい状況に追い込まれました。

 孤立無援となった島は自分たちの力で生き延びる方法を考えなければならない苦境にたたされたのです。
 入り江の岩陰に隠していて、どうにか空襲から逃れていた漁船を日本軍は徴用して那覇との連絡に使っていたようです

 年が明けて昭和20年に入ると、戦争の雲行きがいよいよ怪しくなってきます。
 二月の末頃、高月山や阿真方面の上空に、夜になると数回にわたって信号弾のような物が打ち上げられることがありました。

 兵隊たちは非常呼集をかけられ、現場と思われた場所に出かけ探索したが証拠をつかむまでにはいたりませんでした。

 そして、米機動部隊による大空襲を一日前にした3月22日、阿真シルの海岸をパトロールしていた日本兵たちは漂着していたアメリカ製のゴムボートを発見しました。

 米兵たちは浮上した潜水艦から島に上陸し、偵察を終えた後、仲間への合図のあの信号弾を打ち上げ連れ戻されたのだろうと、隊長は推察してました。

 ボートの空気は七割がた残っていて、携帯食の包みや飲み物がボートの中や
砂浜に散乱してました。
 間違いなく米兵たちは上陸していたのです。(この信号弾の話は元日本兵の
砂川勝美氏の手記を参考にする)

 また、こんな話も残ってます。座間味を占拠した米兵たちが番所山を探索し上陸前に印をつけた木の幹を確認したということです。
 座間味島の裏海岸に夜間、潜水艦からボートで降りた米軍の斥候兵が獣道を登り島を偵察した証拠です。
上陸以前にかれらはすでに島の地形を把握していたかも知れません。

 宮城恒彦著「投降する者は」より

国連人権理事会総会演説と参議院議員選挙野党共闘

琉球新報を見ながら
2015年9月22日

翁長知事の国連人権理事会総会での演説、新聞紙上での表現、言葉のインパクトは弱く感じる。
英語での2分間のスピーチでどうなんだろうと、しかし、国際社会での積み重ねや国連人権理事会総会での演説は無視できないものという証明を映像メディアから伝わってきた。
お昼のNHKニュース、トップは翁長知事の国連人権理事会総会での演説で、注目すべきは、その場で日本政府が発言権を行使し反論したことだ。

先進国として、なんと、みっともないことだが国際的な公式の場では反論しないといけないのだろう。
国際社会の公式の場で日本政府の反論を引き出したのは大きな成果だ。
問題があることを認めたことになる。
そして、アメリカ政府も直ぐに反応し翁長知事の演説内容を否定した。
文字では伝わらない映像、テレビ報道が国連演説を効果的に伝えている。
事件事故など瞬発力のあるニュースと違い人権問題としての基地問題は報道ベースでは地味で伝えにくい。

来年の宜野湾市長選挙と沖縄選挙区の参議院議員選挙の候補者が決まった。
発言の多くが元革新統一側になっているのが気にかかる。
オール沖縄という保革を超えた政治勢力の保守側の発言が目に付かず、誤解を与えないか状況、情勢が分かりにくい。
オール沖縄の翁長知事、辺野古反対の世論、安保法成立への世論の反発など、追い風ばかりだが驕らずに詰めをしっかりやって欲しい。
特に参議院議員選挙の伊波氏、オール沖縄の21世紀ビジョンとの関わり整合性を無視しては危険だろう。時代は変わって前回とは違う脱皮した伊波洋一の姿や発言が見られるのか期待したい。
存在すること、選挙に勝つだけの政治家ばかりを国政に送ることにらならないように沖縄経済会との話し合いもしっかりと消化アピールすることがこれからの国会議員に求められる。

読売新聞9月22日の記事が面白い。
野党共闘で参議院議員選挙1人区で7選挙区が逆転する可能性があるという記事だ。