6 ガマの中では
敏子の家族は空襲が始まって間もなくして移動してました。
始めのうちは避難している家族も少なく、広々とした場所の確保ができました。
ガマの中は空気もひんやりとして、春まだ浅い頃なのに寒さをそれほど感じませんでした。
しかし、日がたつにつれて隣の座間味の人たちも続々とヌンルルーガマにやってきたのです。
敏子の家族は次第に奥の方に詰められていきました。
最初は布団などを敷いて寝ることもできたが、人数が増えてきて、足も伸ばせないほど自分の居場所が狭まれしまいました。
とうとう座ったまま眠る状態になってしまったのです。
奥になるにつれて風通しが悪くて、人いきれや持ち込んだ衣類や道具の匂いでむんむんとして、気分が悪くなります。
おまけに、奥は避難している人たちのトイレになってしまいました。
ガマから少し外に出れば心地よい潮風を吸いながら用足しができるのに、わざわざ奥を使うのです。
用便のその姿は、あたかも、冬の夜空の雲間からほの白い半月が浮かび
出て来るような寒々とした光景に映りました。
「恥も外聞もない」とはこういうことを言うのでしょうか。
敏子たちの回りには複雑な、そして、異様な匂いが立ち込めていました。
ガマの中での生活は「大変」としか言いようのない惨めなものでした。
こういう場所には幼い子供たちが我慢できるはずもありません。
食べ物はもちろん母親の乳さえもらえない。
おまけに息がつまるような空気の中です。
生後二ヶ月になったばかりの敏子の妹ノリ子と座間味のヌンルチ小の良光の
二人が泣き出しました。
すると、回りの男たちが声を荒立てて叫ぶのです。
「どこの子だ。泣く子は殺して捨ててしまえ。」
「この子たちの泣き声を聞いてアメリカーがやってきて、みんな撃ち殺されてしまうんだ」
「口をふさげ。でなければ、ここから出て行け。」
という怒声や罵声が矢のように乳飲み子を抱いている母親たちの胸に刺さります。
敏子が声の主に目を向けてみると、その人たちは村会議員や座間味の有力者と言われている面々です。
睨んでいる顔が鬼に映りました。
娘をひしと抱き、おびえている母の顔はかちかちになり、うす暗いガマの中でも青白く浮かんで見えました。
決断した敏子の母は隠すように娘を懐に抱えてガマから出て行きました。
次第に遠のいていく妹の泣き声を空ろな気持ちで敏子は聞いていました。
母親キクは泣き止まぬ娘を抱いて隠れ家になる岩間をさがすことにしました。幸いに潮が引いていたので、浅瀬を歩いてガマから距離をとることができました。
ある浅い岩陰に寄り添って、乳の出ない乳首に娘の口をあてて泣き止まそうと試みるが、苦しませるだけで娘は一層激しく泣くのです。
米兵に発見されて殺されてもかまわな
いとあきらめて、娘の泣くがままにま
かせていました。
それでも、寒さで冷えた我が子をひしと抱いて夜空に広がる星に祈るような
気持ちで子守歌を歌って寝付かせようと声を出そうとしたが、歌になりませんでした。
汀をなでる優しい小波が心地よく聞こえてくるばかりです。
娘は泣き疲れて眠ってしまったのか、いつの間にか静かになりました。
吸い込まれるように母親も睡魔に襲われ深い眠りに入りました。
寒さと波の騒ぐ音で目がさめました。 夜は明けてました。
極限状態におかれた人間は他人に配慮したり、気遣いしたりする心の余裕
なんてまったくありません。自分や家族のことしか考えないのです。
食べられるものが次第に不足してくると、側に腹をすかせている子供が泣いていても自分の口に入れてしまうほどの卑しい行動をとるものなのです。
一歩ガマから出ると、そこには青い目をした恐ろしい「鬼畜米英」の兵隊が銃を向けて待ち構えているという幻想があるのです。
ところが、そのヌンルルーガマの位置は三方が高い険しい崖に囲まれており
しかも、前面の海岸は引き潮でないと、人は渡ってこれない場所なのです。
さらに、ガマの前にはアダンの藪が入り口を隠すように茂っていて、格好の隠れ家になっているのです。
アメリカーでもやすやすと近寄れる場所ではないのです。
ガマに隠れている数百名の食料や水の確保には大変な努力が必要です。
上陸前に増産で作っていた作物も住民と日本兵の奪い合いで姿を消し、さらに、非常食として持っていた黒砂糖や鰹節も食べつくしていました。
後は、どうにか隠し持っていた数えられるほどの米粒に野草をちぎって入れて作った重湯のようなジューシーが最高の食べ物となりました。
それを作りに行くにも、ガマの前の海岸を脇まで海水につかりながら渡り
水場まで歩かなければなりません。
そして、食べ物が冷めないうちにと、熱い鍋を頭に乗せて海の中を歩いて
帰るのです。
男性はほとんど防衛隊に入隊し、軍と行動を共にしているので、頼りになりません
食事の調達は女性だけの仕事になりました。
しかし、次第に米がなくなり、食べられる物も姿を消しいきます。
ガマに潜んでいる人たちは日に日に衰弱していくのがわかります。
その苦しい状況を見かねた小父さんが一人で食料探しにガマを出て行きました。
しかし、ニ三日たってもなかなか帰ってきません。
様子が気になりだした四日後に全身を傷だらけにして苦痛に満ちた顔で帰ってきました。
ところが、手には食料らしいものは持っていません。
敏子の側に倒れるように横になった彼は苦しそうに息をしながら途切れ途切れにその状況を語ってくれました。
海岸沿いは満ち潮で通れないものだから、泳ぎに自信ない彼は山越えをしようと崖をよじ登りました。
ところが足を滑らせて十数メートル下に転げ落ちてしまったのです
岩かどなどに体のあちこちを打ち付けられて、切り傷、打撲傷、捻挫などと
痛手を負い動けなくなっていました。
苦しみながらその場にいたが力を搾り出して、よろけるように歩きながらやっとガマについたのです
ガマからそう遠い現場でもないのにその事故に気づく者はいませんでした
鬱血してはれ上がったぶぶんは割れたビンのかけらで切り裂いて血を出したが他の負傷した部分の治療の方法は見つかりません。
薬とか包帯なんてまったくないガマの中です。
布を探そうにも、みんな着の身着のままの姿です回りの人たちは何もできません。
彼に声をかけてくれる人もいないし、まして、勇気づける者もいません。
数日間、うなり続けていました。
その声で敏子は眠れませんでした。
やっと静かになったと思ったら、小父さんは敏子の側で冷たくなっていました。
悲しむ者はいません。
明日はわが身になるかも知れないと思っているのです。
夜も遅くなって二人の小母さんがモッコに遺体を乗せて運び、近くの砂浜に
埋葬しました。
その方は他人のために自分の命を失った座間味の大城松三さん(ウフグスク小)でした。
瞬く星とさざなみがやさしく弔ってくれているようでした。
宮城恒彦著「投降する者は」より
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