2015年12月28日琉球新報
新聞は正月用新聞紙面作成に取っ掛かり、寂しい年末記事のようだ。
今日も高校生の貧困問題が一面、「中」とあるから明日も同じ紙面作りになるだろう。
昨日、たまたま、ワールドビジョンの番組がテレビで流れていた。
バングラデシュの子どもたちの支援スポンサーの取り組みである。
月額4500円から、支援スポンサーひとりでバングラデシュの子どもひとりを支援し学校へ通わせ、同時に親の職業支援まで取り組む内容だ。
国際NGOだが今の世の中、どこまで信用していいのやら?しかし、番組は情緒的で余裕があれば申し込んでしまう動機付けには上手く作られている。
沖縄の高校生の貧困記事の内容とバングラデシュの子どもたちの状況は、まったく同じ生活状況を表しているがバングラデシュの風景が酷く見えるのは社会背景のせいで日本という国を背景にした場合の悲壮感とは別に見えるから不思議だ。
番組を見ていない人に説明するのは難しいが、今日の高校生の貧困記事の内容とまったく同じ実態であり、違うの社会地域背景だけである。
貧困と貧しさは似ているが違う尺度だと言っても意味のない話だろう。
子ども教育費無料化、高校生授業料無料化など民主党政権の目玉政策が頓挫し、ストレートに若年層教育費無料化政策のすべてが否定された形で世論形成がなされて歪な形で闇に葬られた。
未だに、この議論は民主党批判とセットで攻撃を受けている。財源など具体性のない政策としての評価が大手を振って歩いている。
宜野湾市長選挙候補者討論会でシムラ恵一郎氏の政策へも民主党政策の失敗に被せてイメージ操作がなされている。
民主党の経営の失敗であり、政策内容の間違いではないことの整理をやらないことが逆方向に進み世論として無謀な政策評価として定着させられている。手垢のついた政策の再構築は中々難しい。
政策実行、財源などは政治の意思の問題であり、三方得などなく三方損でしか実際の政策は進められない。
企業の内部留保が焼け太りし、さらに法人税減税、率ではなく額での高額納税者優遇など媚び諂う政治社会では平等な社会など難しい。
社会果実の恩恵を多く受けた人が社会コストを多く負担する当然な健全な世論が媚び諂う世の中ではできないのだろう。
年末忘年会季節、居酒屋などで集う機会も多くなる。そこでの会費について、都市地区と田舎では金額の差が話題になった。田舎が三千円で都市地区が二千円との平均値。都市地区がデフレ現象があるのではないかとの意見もある。確かに都市地区の物価は安いところは多い、選択肢がある。しかし、それだけであろうか?所得の多い少ないやデフレだけだろうか。田舎の人的コミニケーションコストの比重の大きさだけだろうか。
生活に置ける固定費や使えるお金、流動資産の割合、額が田舎と都市地区と果たしてどちらが所得に対して大きいか。
豊かそうで見えて、使えるお金の割合から、意外と都市地区は貧しいとも言えなくはないか?
固定費の中には家賃など衣食住、交通費、地域生活レベル維持コスト、子ども習い事など諸々。
貧しく見えないためのコストなど。その一線を踏み越えた多くの人たちの姿は見えなくなり、居酒屋の会費、割り勘で見えたりして。
居酒屋へ行けない人を除いた平均値だ。
一度都市地区コミニケーションが維持できなくなれば、復帰はかなり難しくなり、戦うべき一線は割り勘二千円を守ることになる。
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