2015年12月27日琉球新報
「教職員から見た生徒の経済状況アンケート」関連記事が一面を飾り、紙面風景がガラリと変わっている。
教職員とあるが教職員組合の取組なのか数日前からの特集記事をさほど注意深くは見てはない。
沖教組は昔に比べれば、体裁を保つのがやっと?なのかくらいしか存在感がなく、高教組は少しは元気なのかな。
いずれにしろ、今回のアンケート調査の意義は大きい。しかし、あくまで学校の先生であれ組合であれ私的な調査である。
県なり市町村、学校が公的に行なった調査ではない。
生活保護の問題もあり、公的な調査もやれない実態があるのだろう。
行政や政治家の発言もオフレコ発言とのトーンの違いは、問題の切り口を探せないのではないか。小手先、誤魔化しの手当てしかできない、正面からテーブルに乗せにくい具体的な政策、予算の付け方規模など計算さえ見当がつかない。趣旨説明しら整理できるのだろうか?
新聞社の姿勢や問題意識を表した形だけど、大きなネタがないのもあっただろう。そして政権批判、基地への反対姿勢などへの政治的な中和効果もあるのかな?
中村正人市議の記事が大きくある。おおさか維新の沖縄での旗揚げでの取り扱い。嫌な役回りだろう。
実態は空中分解気味の政党を代表して話をしなければならない立場を恨んでいる。先のある政治家、地方議員の顔を一人一人潰していく、このような政党など見た事がない。いくら体面を作っても結果、ウソをつかされる。誰でも嫌な話だ。
儀武氏の参院選比例の件と儀間氏への人情からの留任だろう。一番怒っているかもしれない。
宜野湾市長選挙、表向きの字面だけになり、実態は自主投票、一部それ以上という組織として恥ずかしい醜態だな。ひとえに下地ミキオのアミダくじな政治姿勢に振り回された被害者か?
かりゆしウエアは好きではない♬
確かに都合のいい便利なものだ。しかし、それさえも強制ではと感じる場面もある。
もっと楽に着させてもらえればな。
ま、沖縄らしい「ナ〜ナ〜さ」の表れか?
論壇に加害者意識について書かれている。簡単そうで中々、伝わらない加害意識。沖縄だから言える加害意識なのだろうか。
ネットの言論からみると日本の文化には加害意識などが存在しない可能性がある。すべて神にして神社に祭り、忘れ、己の罪さえ祭り上げた神に背負わせてしまう文化であるから加害意識など上手く昇華してきたのが日本の歴史だとすれば、有史以来、かなり、ひどい事をやって来た民族の知恵かもしれない。
ただ一人、天皇だけが呵責の念という昭和天皇がやり残した責務を背負っているような番組が天皇誕生日にあった。それさえも加害意識ではなく、うちに向けた呵責である。まして国民に日本の暴力性を認め悔い改めよとは決して言わない。
しかし、沖縄の日本化は知らず知らず進んでいる。琉球王国の過大評価が当たり前に定着し、世界遺産になった首里城を40年振りに見たときの違和感たらありしない。
こんな立派な国なら、薩摩如きに少数の薩摩侍にいとも簡単にやられるはずはない笑
ヤクザに毛の生えた豪族程度が妥当な評価とするのが客観性がある。
あまりにも立派な首里城を見て沖縄の選民意識の勘違いは日本が進んできた歴史と重なる手法だろう。名も知らない南海の孤島でいけない理由は何だろうね。
琉球独自とか言われている海洋貿易すら怪しい。なぜ、尚家が伊是名出身なのか?北山王国、為朝伝説など胡散臭い。日本史の流れから貿易は清盛の流れとも推測も可能だ。
薩摩の侵攻もその流れとも言えなくもない。
戦後独立したフィリピンなど西太平洋の島々に国という概念はない。その一部である沖縄だけが国という概念があるはずもなく、外部から持ち込まれたと考えるのが普通、台湾ですら近代であり、無理やりでしかない。アムール川流域といい無国家世界観など想像すらできない洗脳された歴史感では無理だな
無理を承知でさらに遡れば、徐福に行き着いてしまう。秦の始皇帝の時代になってしまう♬
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