認めてもらうというキーワードが中々難しい。
若い女の子のミニスカート、見えそうで見えない笑。
その女の子がミニスカートを着る動機、価値観がおじさん達には理解ができていない。
誰に見てもらい、誰に認めてもらうか?
そこが完全にズレている。おっさん価値観はエロチシズム的であり、性的視線に呪縛されている。しかし、女の子はまったく違う。見せる対象は同性であり、同性の評価であり認められる事で異性は二次的でしかない。エロではなく美意識の延長線上のきわどさなど男性のおっさんからしたら理解を超えた世界でしかない。コスチュームであり、見える見えないではない。見えても美的であれば良く見えることも前提になる。
袖の長いセーターから指先だけ出して頬づえする仕草と変わらないなんて化粧の仕方、アイラインの引き方眼差しの作り方までセットな価値観など分かるはずもない。
これでは傷つく男性ばかりで人間不信社会不信の受難な時代だ。
恋愛などリスクの高いものに精神性など掛けられないとなるな。
スティーブジョブズ言わずと知れたアップルの創業者、彼を慕い支持する若者は多い。彼らの行動原理にも影響を与えている。
スティーブジョブズが何をして支持されているのか新しい発明、発見など世の中を変える偉業業績はあったか。
確かに世の中に溢れるアップル商品、その量、シェアによる影響はある。
彼の業績はコーディネイト力であり、具現力による、ある物を集めて目新しさの企画力と思っている。間違えたらゴメン。
飛び抜けた技術や発明がなく、横並びの製品群でのデザイン力や企画力が強い力を持ってしまうのは仕方ないが、いずれ壁になり大きな発展はないこれまでの財産の食いつぶしでしかない。
新たな技術や発明発見によってインスピレーションや発想力が新しく生まれるのが常だ。時間と努力と資金が掛かるそこへの興味がいくより、与えられた条件で効率よく形にするテクニックへと達成価値観がある。
しかし、それは人類の進化過程での王道ではない。それでは未だに石器時代のままだろう。
安保法の参議院委員会、本会議採決において、話題になったひとり牛歩に象徴されるように過去のリメイクしか思いつかない。山本太郎の行動は評価するが、あれだけの若い人たちが集まり最終的に牛歩に縋ったのは、牛歩を生み出した数十年前から後退した姿ではないだろうか?
紙面記事や行政からもてはやされる若者参加の街づくりや産業政策を見ても予算ありき一括交付金前提が全てと言っていいほど、箱物なり設置産業が中心になる。
発想以前に条件や前提に完全に縛られた状態でなければ発想そのものが成り立たないサガに取り憑かれている。
人が生きるとはなど哲学的要素をほとんど省みる価値観が欠如した自覚がない。違う価値観による新たな発想など非現実的生産性のない独特の合理性から来ている。
団塊世代と若者の相性の良さは共に無機質さへの傾斜ではないかな?
シールズの話は、なんの抵抗もなく違和感も異論もないほど肌に馴染む。
この馴染み方に疑問を感じている。私以上に団塊世代には代弁者のように聞こえるだろう。
そのことからの不安は、果たして彼らのシールズと同世代には伝わるのかと伝わっているのかという疑問だ。
高度成長期世代と40年も違う生活環境で育った彼ら若い世代の感性の違いを意識する事なく、言葉に酔いしれ過度の期待をかけようとする団塊世代の方が危うく思う。政治的にほとんど結果と存在感を出せなかった世代から絶賛されてはと言えば団塊世代に失礼か♬
その下の世代の代表が安倍晋三となる。
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