2015年12月2日水曜日

公務員されど公務員か

2015年12月2日 琉球新報を見ながら

興味深く対比できそうな事例を二つ取り上げてみた。
一つは普天間基地の米軍機へのレーザー光線照射事件、去年からこれまで6回程確認されていたという。では何故、今回大きく公表したのか?というふうに勘ぐるのは邪推だろうか。
合わせて政府政権側からの米軍機の墜落事故にも繋がりかねないとコメントまで付けている。
基地反対派の行き過ぎた行為として反対運動そのもの全体イメージへのダメージ効果と普天間基地の危険性を強調した効果はあるだろう。
そのような発表報道は宜野湾市長選挙を前に宜野湾市民への選挙での投票行動、心理に与える影響は少なからずあるだろう。
さらに選挙運動を通して戸別訪問や集会などでことさら上塗りされ誇張され感情的な植え付けに利用されて、そのためのリークかもしれない。
その影響が無視できないと見たのか?今日の新聞記事社会面に「厚木でもレーザー照射、海自機と米軍機に70件超」の記事が載っている。
事実であれ情勢操作イメージ操作を政府が露骨にやってくる意図を感じなければならないな。
二つ目はネットにおける発言だ。
沖縄タイムスのホームページに「座り込みする反対派は蹴飛ばせ」など書き込みした洲本市の市議、議長までやった60を過ぎたおっさん、選挙で選ばれた特別公務員の件とTwitterで「同性愛は異常」と書き込みをした岐阜県職員、他にも沖縄県民や報道機関への中傷の書き込みが記事として取り上げられている。共に沖縄県民感情を逆なでする行為であることは間違いない。この二人の問題は特別であろうが一般職であろうが公務員という身分、明らかにした上で公務員の立場で発言していることである。その自覚があるないにしろ、個人的発言とは明らかに違う。
思想信条、表現の自由は誰にも認められた権利で保障されたものだが公務員という立場を使い行う行為は個人的な行為ではない。特別公務員の市議と県庁職員とは少し違うが公務員であることを伏せた場合でも公務時間内なら弁解は難しい。
公務員の場合、個人的発言でも道義的線引きは難しい。
社会的な肩書きを利用し発言するなら、そのメリットと合わせてデメリットも当然に背負うことになる。
しかし、その反面、社会的に言葉狩りや自由な発言に対して厳しくなるのも首を絞めるようなものだろう。
報道でネット発言を取り上げて記事になることが多い、一々取り上げて社会的メリットはあるのだろうか。感情的な溝を作り窮屈は言葉狩りに拍車をかけるだけではないかな。

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