辺野古反対の現場と注視している県民とのギャップが気になるな。批判ではなく、明らかに大きなギャップがある。今の状態は政権のコントロールの中なのか?
さらに過激になることもなく、ソフトになることもない。
毎日の現場が大変な事は分かるが感情的な現場報告はギャップを広げるような気がする。その場で昇華され現場へとは繋がりにくいようなリアル感の喪失になりかねない。
ハードルを乗り越えた人は、ハードルを乗り越える前を忘れてしまうかのように、あちら側とこちら側を作り出す。
ほとんどの県民が現場に行きごぼう抜きの経験がない。経験しなければ、絶対に分からない話だからだ。それだから頭で考えようとする。頭で考えて分かるものではない当事者にしかわからないものだ。その無力感、連帯の大切さが、それ故、感情的になる。いい循環とは?求める動員結果にならない。伝える難しさと運動の難しさだな。
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