2015年12月14日月曜日

パッと思いつくのは

Eテレ、ミュージックポートレートは、小室哲哉57才と浦崎直哉55才が歩んだ半生に合わせて10曲を選んでいく進行の番組。
小室哲哉はご存知の小室哲哉、浦崎直哉は漫画家、YAWARAや20世紀少年。
漫画はほとんど知らない世界、その代表作の内容も知らなかった。
偶然にも二人は同じ中学校卒業した一つ違いの先輩後輩だが最近まで気づかずにそれぞれの道を歩んで来た。
その二人の結びつきは小室哲哉からの手紙だった。
浦崎直哉の20世紀少年の書き出し部分の描写が小室哲哉の実体験と被るという内容の手紙であった。
そこで二人が同じ中学校出身であり、20センチュリーという曲を校内放送を通して同じ時間を体験した中であった。
曲をかけたのが小室哲哉で聞いていたのが浦崎直哉。その体験が漫画になっている。
世代が近い為、当時の学校生活や校内放送など、確かに共感しやすい話である。
番組は小室哲哉は当然に自分の曲が多く、それに対比して浦崎直哉の選曲が上手く乗っていく。
ともに富田勲の曲が入っているのが面白い。小室哲哉が新日本紀行、浦崎直哉がジャングル大帝。浦崎直哉の最後の曲が映画ガメラのエンディング曲になる。
番組は終わったが
今、直ぐに思い出す曲ってなんだろうと思い起こすとサークルゲームしか出てこない。
理屈で考えれば、いろいろでてくるだろうが、ただ浮かんだのはサークルゲーム。
映画いちご白書をもう一度の曲。
ここに来て、やっと、そうか、いちご白書の曲だったのかと思い出すしだい。
そのような曲しか咄嗟に思いつかない位のセンチメンタルでは選挙は勝てるはずがない。
今の日本の大人たち団塊の世代前後の人たちが支えている左派リベラルの現状は闘争に勝つメンタリティが健全に育ってない人たちに感じてきた。
映画いちご白書を懐かしむセンチメンタルに酔いしれたいという衝動が行動に政治を含む社会活動に現れてはいるかもしれない。
オチがなく中途半端に終わる、いちご白書はそんな映画をエンディングでサークルゲームの曲が映画の内容を忘れさせてくれたような印象しかない。
その強烈なギャップがトラウマになっているのかな。
続けて出てきた映画が死刑台のメロディとネバダスミスでは、かなり病んでいる。
気分が良ければ、メリーポピンズ、マイフェアレディになるはずだがな。

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