2015年12月16日水曜日

痴呆という先入観?

ふ先日?昨日かな龍潭池に車が落ちた。
20代の女性の運転する軽自動車、ニュース映像には🔰。運転操作のミス、アクセルとブレーキの踏み違えらしい。
同じ日に内地でも運転操作のミスの事故、これもアクセルとブレーキの踏み違え。
頻繁に同様な事故報道が流れ、何気なく当たり前のように気に留めず、また、年寄りか高齢者、痴呆症などと合わせて報道を受け取る側も報道する側も警察でさえ、納得し危ない人たちとして自粛の必要性を感じて終わり、被せるように自動運転自動車へ夢を見る。その社会的利益が盛んに報道される。
しかし、本当に運転操作のミスだけなのか?と疑問を持つ人は少ない。
コーラと思ってコーヒーを勘違いして飲んだ時、ほとんど意味が分からない。コーヒーだと認識するのに0.数秒かかってコーヒーを認識するが最初は変な感じしかない。
運転操作のミスやらベダルの踏み違えはあったとしても、ナゼ、そのような状態になったか?が深く問われない。
確かに単純なミスもある。しかし、パニクる場合は理由や状況がある。
先日、ダイハツがミッションレバーの不具合によるリコールを発表し無償交換の記事が出た。
オートマチック車のミッションレバーの不具合とはパーキングに入れても上手く入らずRバックに入り下車後、車が流れてしまう。この症例が報告されリコールになった。
これと直接的に結びつける証拠はない。
しかし、日本の技術の絶対的信頼性は神話でしか今はない。
運転者においても誤操作した、もしくはしたのだろうと自覚は現実的な状況から認めざるを得ない。ナゼそうなったか考えることもなく、完全に機械に意味のない信頼をおいているため、誤作動するなど思いつかない。
技術大国日本の技術の信頼性は過去の物として意識に置かないといけない。
あまりにも近年多すぎる運転操作のミスによる事故に不自然さを持つのは不自然ではない。

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