私が過度の心配症なのか。宜野湾市長選挙のオール沖縄側の取り組みの遅さばかりが目につく為、かなり、悲観的な心持ちに偏ってしまっているのだろうか?
1月17日告示である。決起集会が12月9日。
選挙告示一ヶ月半前とすれば、こんなものなのか?
相手、佐喜真陣営の取り組みの速さは危機感の表れが上手く共有され、オール沖縄側の候補者選定作業の遅れを利用し、段取りを充分に踏まえた戦術的取り組みをコツコツと積み上げる努力を重ねているようにみえる。
取り組みの謙虚さはストレートに好感度上げ、相乗効果を生み出す。
タカ派イメージの佐喜真市長も取り組みが進むに連れ、その市民イメージも変貌しているかのように市民市長振りだ。
その際立て役にオール沖縄側の取り組みの遅さが有効に作用しているように見える。
これまでの選挙における日程による選挙戦の意識の上に佐喜真陣営の動きに合わせる事なく、なんとなく胡座を掻いているのではないか?
いつもの選挙、頑張った仕方がないって、やらない事、出来ない事の積み重ねの日々で危機感を薄め、目に見える活動に意識を逃し、宜野湾市長選挙の情勢変化を過去の実績と枠組みを盾に周囲への様子で計っている。まるで我慢比べ。
候補者の個性にもよるのだろうが、このような革新支持層基盤の票を土台とした選挙で保守系が主導権を取る難しさ、よそ行きのクッションある選対では、候補者本人の意思、尻叩きが不可欠であり、取り巻きでは翁長知事であろうと踊れないものだ。
その行為が魅力になり、政治力の成長として生かされていく、できるかできないかも選対雰囲気となり、投票行動にも結びつく、いつまでも、お客様気分、他人事のような選挙当事者ではなく、候補者を引き受けた時点で遠慮は要らない。それが覚悟と言うものだ。
佐喜真市長は年初めから来年の市長選挙に言及し、再選の厳しさを訴えその危機感は広く浸透していた。ここへ来て、その効果が政策訴えともに共有されたように見える。正直、私が宜野湾市民なら、地道な訴えが誠実さに見え、政策チラシを真剣に見てしまうだろう。時間という何にも変える事の出来ない価値を活用した誰にも否定出来ない活動でしかない。
選挙ヘ真剣さは、風景として馴染む時間さえも考え行動してしまう。
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