琉球新報2015年12月13日
沖縄県議会与党の本会議質問で与えられた17分という時間を使い切らず、意図的に時短行為で議事進行を図り、議会外活動日程を優先した県政与党の判断を問題視し物議が起こっている。
今回、明らさまに分かりやすい形で議会実態が露呈した形になった。しかし、日々、日常の議会議員の活動の延長線上にある一事象でしかない。
政治家と言っても、幾つかの形態に分けられる。
選挙で当選し身分と生活保障がある者と選挙に落選または関わらず身分と生活保障が保障もなく活動している者、これも選挙を前提としている事が一般的に政治家となるのか。
選挙に当選した政治家も行政職の長となる首長、首相、大臣も含めてのグループと国、地方の議員と分けられる。
政治家活動も公務と政務と分けて活動する。
当然、選挙で当選し身分と生活保障がある政治家は公務が優先であり、選択の余地はない。
組織的な活動であろうと今回は公務を蔑ろにし政務という個人的活動を優先した形になる。
批判されても仕方がないレベルである。
では、ナゼとなる。
議員の議会活動と議会外活動の違い、議員の身分と生活保障及び認められた活動費は議会活動に対して支払い保障されている。政務活動に対してではない。この線引きは曖昧な部分も多く、その上に胡座を掻いて不透明さが不信に繫がる。
議会活動、議会予算を使って視察研修、認められた勉強会や調査など形はどうあれ報告書なりレポート提出が義務付けられても不思議はない。
委員会なら委員会報告となる。それがどのような形で表に出るか。出されたとしても一般の市民の目に止まるかは別問題で良識ある議員は、その情報、公式情報を個人的に拡散する。
合わせて個人的な見解などで補足はできる。
委員会質疑が公開非公開という場合も時としてある。その対応がめんどい。
議会は表向き合意形成の場であり、その為の議論質疑となる。この前提を使いサボタージュする人もいる。
そもそも、議員活動評価と投票行動は中々比例しない。議会外活動、政務及び地域、地縁血縁がほぼ投票行動に結びつくのが現実。
議員活動は国会議員であろうが地方議員であろうが活動、やる事の仕事量は変わらない。
活動環境の差は雲泥の差がある。
恵まれた環境にありながら、それでも充分な活動がほとんどできていない。
活動をフォローするシンクタンクがない。活動資金はほとんど政務活動選挙活動に使われる。
有権者が求める過大な期待値とのギャップを埋め切れるはずもなく、議員活動による政策活動や議会活動の評価は得にくく、本筋から外れた活動で政治家評価をあげようとする。
議員活動への期待値と活動資金とのギャップを見ようとする市民は皆無なのが政治にリアリティがなくなる一番の原因でしかない。
安物買いの銭失いが市民の政治感覚ではマトモな議員は育たない。
お金を使う力がないと、支出の額は活動のバロメーター。歳費は活動費でなく生活給であり、議員のお金ばかりをやり玉に挙げて必要以上に問題のすり替え批判しても市民が貰えるはずの果実、市民利益になることはない。税理士も事務員も公費で付ける位の民意がなければ議会は宝の持ち腐れでしかない。
議員の後援会組織は選挙活動しか機能しないのも変な話である。
当選させた責任は有権者にも背負うべき責務。
議員の議会活動のフォロー、議会事務などの機能をしている後援会など見た事ない。
議員だよりなど、ボランティアで後援会がやればいい。議員意思と後援会意思半分で議員活動の脚本を作れば理想だろう。
選挙で応援するという事は本来そういうものだろう。
政務活動費問題などナンセンスな問題で、議員個人的なカネでもないのにお金の使い方を知らない議員がやるのがオカシイ。それはイコール、議員活動のやり方が分からない議員が多いという事でしかない。
ストレートに議員能力の問題。人に任せるのも能力。活動資金が足りなければ集めるのも能力。
堂々とカンパを募ればいい。政治資金団体を作るぐらいでないと本気とは言えない。
現実はそこまで地域住民は地方議員に求めていないし、そこまで考えている議員もいない。
程々が一番と割り切りつつ、風向き次第でキバを向き感情のはけ口として批判を遊ぶ。
3.11後の市民団体による大阪の議員への面談聞き取りの取り組みが行われた。その時、自民党保守の中で唯一、二重丸◎の評価が付いたのが前日、大阪市長選挙で落選した柳本あきら氏だった。
リベラル側からすれば自民党というアレルギーを持ってしまうが、その市民団体が二重丸、でもストレートに投票行動に比例はしない。相手がおおさか維新の悪名高き吉本でも民意には反映されない。市長選挙という違いはあるがせめて議員選挙では議員評価は反映されて欲しいものだ。
最近は増えてきたが議会における議員の議案に対する採決情報。それでも小さく見づらい。一面使ってもいいくらいだ。
座間味村は明文化できず、申し合わせ事項になったが未だに実現せず、それどころが議会だより、役場広報すら消滅してしまっている。
通年議会、通年会期すら決定事項なのに、すべてが知らないそぶり。
そもそも、議会議員定数が10名を切るようなら自治体として存在する意味もない。公の議論が成立しているとは考えらるない。
議員批判が議員手当批判から定数批判になり、結果、議会力低下になり、自治体存在そのものを否定に繫がる。
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