yes、noいずれにおいても、異論を挟ませない。yesなら進み、noなら話にもならない。決定ありきがすべての役所組織の思考そのものだな。
国会の政権答弁を見てて、議論が成り立つはずがない。
問題は、意思決定がいつ、いかに行われるのかになるのだか、そこも意思決定がなられないと始まらない。組織末端の思考論理が国の中枢の議論としてまかり通っている。選挙で政党や議員を選ぶ意味がほとんどない状態とは、このことだろう。この結果が去年の安保法の実態になる。
公式の発言より日々の政治家の戯言でしか政治の方向性を見定める術がない。公式でお笑いと同じように受けのいいことを言うのが慣例としかならない。
国会の質疑、答弁でも偽証罪を適用しないとダメだ。無駄な国会の議論では閣僚も寝てしまう。
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