琉球新報を見ながら
2015年9月4日 旧7月22日 Friday
一面下段にある金口木舌、地域独自の名称について書いてある。先日のアラスカのマッキンリー山をデナリへ先住民名称に戻した件を広げている。
浦添市勢理客「せりきゃく」から「じっちゃく」。
豊見城市の「とみぐすく」は、かなり話題議論になった。高校野球で「トミシロ高校」がすでに全国で有名になっていた。
終戦後アメリカ統治下での沖縄アイデンティティー政策で掘り起こされ周知された経緯の影響も大きいのだろう。
しかし、柳田国男など戦前からの民俗学や沖縄では伊波普猷などが基本にある。
沖縄方言も今や言語として日本語と区別され認知を受け、消滅危機言語として国連からピックアップされている。
この動きと意識は10年ぐらいで盛んになり、地域常識として短期間に定着したの不思議な気がするが、これはやはり本土との不公平感と誤魔化すことのできない本土からの無意識の差別視線を隠すことなく言えるようになった事はネットもあるが一番は「お笑い」だろう。
以前からラジオでの方言ニュースはあったが深夜放送で方言による表現の可笑しさ面白さがお笑いニーズの底流にあるのだろうか。いずれにしろ、最近のオキナワグチの抑揚への郷愁と愛着は個人的な感覚ではなく沖縄人に起きた共時性と言えそうで沖縄口CMの多さが証明しているのではないか。
テレサテンの中国語バージョンが素敵だったように沖縄出身歌手の沖縄口バージョンもすでにポピュラーになり、先日記事になった上間綾乃の「うちなーぐち版 さとうきび畑」が欲しくなる
センチメンタルジャーニー。
0 件のコメント:
コメントを投稿