琉球新報を見ながら
2015年9月19日 旧8月7日
14日月曜日からの一週間が慌しく過ぎて行った。
阿蘇山が噴火し、その直後に翁長沖縄県知事が辺野古埋め立て承認取り消しを表明した月曜日に始まり、15日、16日と安保法案の中央、地方の公聴会。
公聴会での公述人の意見もかなり厳しくなった。
横浜での地方公聴会終了後、突然響き渡る鴻池委員長の怒鳴り声、傍聴者の強行採決はさせないのヤジに反応した苦しい立場の現れか。その後直ぐに予定されている特別委員会審議打ち切り終了への批判もあり、苛立ちは隠せない。
会場の外では辺野古ゲート前かと思わず目を疑うかのような身体を張った道路封鎖に騒然とする。
それをNHKが生々しく映像で中継してしまう。夕方のニュース時間帯に重なり各民放も次々と道路に寝転ぶ数十名と警察との揉み合いの映像を流す。
そこからNHKが止まらない翌日の特別委員会採決まで随時中継を行った。
16日から17日、18日と三日間に渡って徹夜の攻防になる。
この三日間の攻防の山場は、やはり、9月17日の攻防だろう。朝の8時30分再開から与党側に主導権を取られ、特別委員会での不意をついた強行採決だろう。
この日の午前3時半に委員会が散会したあと与党側は入念な作戦とリハーサルをやり強行採決に備えた。
野党は各党の調整などに追われ、与党の動きを察知できず、口を開けてあたふたするばかりになってしまう。
本来はあと1日、土曜日の夜まで頑張れる自信はあったはずだが強行採決を止められず土曜日のデモまで持ちこたえることができなかった。
強行採決で失った日程と時間は大きい。
与党側の本会議での討論時間制限で野党は追い詰められる。
牛歩戦術はテレビ中継が入ることで批判を恐れたのだろう。三割を超える国民中間層へのイメージを考慮し政党戦術とせず個人判断に任せた結果、山本太郎だけになる。
しかし、他に手はなかったか、手当たり次第に問責決議案も考えられる。
しかし、ダメージも出てくる。今後の野党協力への影響だろう。
山本太郎議員もやり過ぎに注意しながらの行動と言動が強く感じられた三日間。
支持者受けはしたが永田町では、やり過ぎは野党協力の阻害要因にもなり得る。
あと半日強引に粘る効果と影響はどうしても天秤になる。
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