SEALDSを引っ張り出して新しい動きにあやかろうとする趣味の悪い大人が多いこと。
先日、フジTVにSEALDSの奥田さんが出演した。
ネットでの論調がひどい。
SEALDS論破される。である。
また、インタビューなどで彼らに運動論を求めたりする。
すべて、大人の都合であり、不完全な大人が若者に完璧を求める歪な構図が当たり前にまかり通る。
彼らが経験を積んで時間と共に勝ち取る成果と失敗の中で育ち成長する可能性より、アラを探したり、呼び出し見定めようとする動機に邪悪な心が見え隠れする。
その連中の想定の中に無理やり押し込めようとする予定調和に侵され方がひどい。
なぜに慌てて評価し、そのすべてを論じようとするのか。大きな疑問だ。
現象を謙虚に見つめ受け止める寛大な大人がいないのか。
今の日本の慢性的な社会の求められてない創作ニーズに巣くる社会ゴロがノサバル言論界は日本の成長性を蝕む。
感じたことを行動に移す若さの特権に必要以上の理屈を求めれば、感じるという動機の発展性の芽を摘んでしまい、多くの若者が実践より理論武装に走る。それはとても不幸なことになる。
そからは、新しいものは生まれにくい。
説明できることより、説明できないとの方が伸びる可能性と発展性が秘められている。
それを放任できない大人が多いことは日本の可能性や発展性がなくなることに繋がる。
大人の陳腐な言葉社会に巻き込まれず、感じたまま実践することが尊い時がある。
相手を屈服させる理論など自然と付いてくるが行動を起こすことは反比例してくる。
若さの美徳の行動に後付けの理屈は糞食らえ
人に厳しく己に甘く、振り返ることをしない大人に言うことは、人に問う前に考えろ長い時間を生きたのだから自らに問え。
マスコミに出ることも媚びを売る必要はない。SEALDSはSEALDSでいいではないか。
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