2015年9月9日水曜日

日本の猜疑心を「心の飢餓」で支えることの難しさ

琉球新報を見ながら
2015年9月9日 旧7月27日 水曜日


 昨日は、「決裂、決定、決める」など「決」が目立った。
今日は市町村の予算関連の断念、認めず、補助金返還と紙面を埋める。
 防衛省予算による県内業者の受注率の低下や一括交付金予算の執行率の悪さなど課題の多い現状は否めない。
 受注率や執行率の低下の個々の原因は表向きは分析されている。

 しかし、制度の構造的な問題や予算執行力の弱さなど見え隠れする行政的な問題や政治的な影響などは中々一般人には分かりにくい。
 そこにある微妙な空気は市町村の担当者、県、内閣府、各省庁、政治家と持ちつ持たれつの力関係で成り立つ。
 去年の沖縄県知事選で翁長知事が誕生した時に予算関連の締め付けが危惧された。
 想定されたのは、沖縄関連予算総枠は従来通り確保されるが予算事務手続きの遅延や該当予算の目的外評価による認定不可などハードルが上がり予算執行にまで至らず、執行率が下がる懸念だ。
 一括交付金予算でも、補助金規程の制約の範囲で施行される。予算執行後に会計検査院からの検査や補助金の目的外と指摘、認定されれば予算の返還義務が生じる。
 既に査察が入っている自治体もあるだろう。検査公評の内示、11月頃に公表されれば、その対応に追われる。
 沖縄特別枠配慮など見えないシールドの弾力的運用ほど怖いものはない。


 翁長知事は「心の飢餓」発言を使って沖縄を表現する。
 それは、何処に誰に対して発しているのだろうか。沖縄県民の共感は得られるだろう。それと同時に日本政府や日本国民に対して配慮と理解を求めているとも言える。
 沖縄県民に共感を政府には配慮を国民には理解をとなるのだろうか。

 しかし、辺野古移設反対に関しては子が親に「わかってくれよ」の関係、段階ではない。「要求」の段階へハッキリとシフトしなければ、沖縄県民83%の民意の展望はない。


 真綿で首を絞める官僚を使った手練手管の手法の届かない表現の切り替えを真剣に考えなければブルトーザーに踏み潰されて民意のペンペン草も生えない沖縄になってしまう。

「心の飢餓」などと弱っちい表現は大和民族への間違ったシグナルを送ってしまう可能性が大きい。
 安全保障や基地問題の主体、主語は沖縄ではなく、日本、日本政府の問題であることをハッキリ示す表現が求められている。

 そもそも、長い歴史の中で沖縄、琉球は武力を放棄することで成り立った1%の地域である。
 武力による安全保障を必要とする99%の日本の地域の心は沖縄だけで支えることはできない。

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