2015年9月8日火曜日

割らない割らない、でるでる詐欺の私利党略見本市

琉球新報 を見ながら
2015年9月8日 旧7月26日

 社会における、特に政治における行動パターンの類似性を感じる。
 オレオレ詐欺プロパガンダである。


今朝、早く自民党総裁選へ出馬断念を表明した野田聖子。冷静に俯瞰して見れば、今の政治情勢、特に自民党の置かれた環境を考えれば、総裁選で選挙をやれる状況にはない。
 総裁選選挙をできないように安倍政権は日程を作り上げてきたと言える。
それを跳ね除けて立候補推薦人20人が賛同しても推薦人として署名する動機がない。
 効果は薄いが無投票総裁選の模擬デモンストレーションであり、自民党の多様性をアピールする広告効果でしかない。同じように地方自民党議員の安保法案反対の動きの報道なども何の意味もない安保法案成立前提での動きとして、自民党のいつもの反応であり、先々への布石である。
 圧倒的多数で安保法案が成立する状況だからこそ、政権与党の個々の議員の動きや発言を必要以上に際立たせる中和作業こそ警戒すべき現象だろう。
 小さな違いを穿り出す報道のサガのなせる技に光のない希望を見出す国民心理をよく知っている。
 大きな方向性の変化を伴う政治の動きはミクロではなくマクロで、議員や個々の動きではなく結果による政党評価でなければ同じことが繰り返される。

 創価学会員による安保法案反対の動きがあろうと公明党は安保法案全面賛成の結果しか残らない。
 マスコミを利用した橋下の維新騒動も連動した動きと私利党略でしかない。
 

 民主党の政権時への厳しい評価は代表的な政党評価のあらわれであり、政策転換のないまま政党活動をやり続けることが支持率の低迷の要因であり、国民の気持ちの切り替えを困難にしている。維新代表の松野氏の言う党名変更は必要条件として正しい意見だろう。
 共産党にも言えるが、、
何が起ころうが政権与党による結果である。その評価と責任からは所属議員は逃れることをさせてはならない。


 琉球新報一面に踊る「辺野古、県民投票へ」「知事選も浮上」の見出し。
 感情表現として捉えている。
翁長知事や周辺が言ったとも書かれてない。知事選で辺野古移設への民意は出ているを覆すことになる。
 橋下みたいに無理やり民意を作り出す戦術は否定しないが、そんな時間があるだろうか疑問。
 県民投票も先の知事選で下地陣営が訴えたが、もはや、知事選時とは別物の話として理解した方が客観性が保てます。
 同じ事を言ったとしても、言う人が違えば別の意味なのです。
去年の知事選、選挙の前と後を切り離し、選挙前の話は白紙ぐらいの評価で選挙結果として終わった話。あえて言うなら、政治はタイミングがすべて、結果の伴わない論説は歴史の参考資料でしかない。環境が違う。

10月には本体工事が始まる。日程と時間の問題で民意のやり直しは来年以降タイミングでの条件付きでしか可能性は薄い。
 今の段階で取り得ることは実力阻止行動と裁判闘争で、それも知事の埋め立て承認取り消し前提になる。
その後、県民投票を実施するなら争点を辺野古から自治権拡大、沖縄独立への賛否でなければ効果ない。
スコットランドは独立派が負けたが、選挙後、かなりの自治権拡大に向かっている。



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