8月15日
安倍、安倍、安倍総理の70年談話で埋め尽くされた紙面は、昨日の安倍総理の70年談話を見ているようだ。
量の多さと言葉の多さの中に真珠を探すような困難さと繰り返す内容に文脈が見えず、やっとイミテーションのような単語を見つけた。
同質なものではないか?談話も記事も中身はあるのか、それを探す意味など本当にあるのかという疑問に振り回される。
書いてる途中に百恵ちゃんのyuotubeを三回見てしまった。
百恵yuotube
市民意見広告、9条実現意見広告。これが増えなけりゃ! 民主的な活動だな。
歴史的転換期なら、なおさら、この活動、意見広告には賛同する。
いろんな意見広告が毎日、争うように紙面を埋めた方が良い。
最大の抗議は無視。
注目し持ち上げる必要はない。100年談話でもなく、たかが10年区切りの一総理に評価を下げれば、取り合う意味も薄くなる。
憲法改正でもなく、歴史的な談話でもなく、スルーが最大の評価になる。
過大な批判と抗議は対象となる者の価値と影響力を与えるようなもの。
ヒトラーを創り上げるのに手を貸すが如き。
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