2015年8月24日月曜日

画面の中の風景は終わりを告げているかのよう

 桜島の避難指示解除で地元に帰還する。自宅でインタビューを受けるおばさんがテレビに映り、ホッとした表情を見せる。


 心情は分かるが、果たして正しい行動なのか。
 箱根にしても同じで行動の基準は「何もなかったじゃん」何も起こらない前提での発想に支配されている。
 いわゆる正常バイアスに取り憑かれている行動、判断によって全体答に寄り掛かる。
 サバイバル的には多様な判断が求められる。全体とは違う行動が究極の生き残り策がサバイバル的発想になる。
 歴史的にも想定を超える事象では全体の取る行動が間違っていた事が大半を占める。
 しかし、何も起こらなかった場合は、単なるバカでしかない。他人に理解、共感されることはない。
 それを恐れる、何も起こらないことを恐れるから決して全体が出した多数回答には逆らえない。
 起こった時の重大さと起こらないかった時の情けなさを天秤にかけ、ほとんどが情けなさを避ける。

 サバイバル、生き残りをかけた状況では常に正常バイアスとの葛藤を避けてはいけない。
 私なら今、現在時点で桜島には戻らない。
 原発事故放射線被害からの避難も際たる行動だろう。

避難が正しい判断である。 



 その自分の持つ価値観に正直に従い行動することは、大きな苦難を背負うことになる。
 それが可能な動機は次世代への愛の強さしかなく、家族愛しかない。それはまだ見ぬ家族を含めてである。

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