8月11日
「行政至上主義における立法司法のあり方」が確立された国家で三権分立前提の議論ほどシラケるシーンを真剣に見つめるアホらしさ♬
大陸中国の共産党統治体制と本質は同じと言っても差支えない。どちらも、認めない政治家と国民の手のひら民主主義は、中国の民主化のちょっと先を行くか。
基本、この国の国民は、お上に行いに興味なくお上が誰かに興味を持つ、豊かな自然と付き合い寄り添うようなものでしかない。
未だに伝統的シャーマニズム治世政治が続く保護すべき世界遺産規模の社会と言い切る事を原発再稼動への抗議としよう。
国家規模の最適解ってあるのだろうか?
国の人口と民主主義は反比例し経済は比例するという定義が成り立てば、経済を取るか民主主義を取るかの選択になる。
経済を取れば、生活の質の底上げが成され飢えることは少なくなる。しかし、国民、個人の制約と責任は増え全体合理主義社会の一員として納税者だけではなく消費者としての責任も背負う。
一方、民主主義を優先すれば、国民の数は多ければいいとは限らない。常に不安定さを抱える分、社会実感と幸せを感じることが増えるが人口が多ければ、さらに不安定さが増し社会混乱の要素が付きまとう。
フィンランドは500万人、小さな国ほど指数は高い。1億人以上の国は内外の問題が多い。8000万人以下がバランスいいのか?
それとも国民一人当たりの国土面積がバロメーターになるかも知れない。
動物基準だとそうなる。
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