2015年8月28日金曜日

ふと思い出すあの日のコーヒー

 昨夜、むかしのことを思い出したような夢を見たようだ。


昨夜の雨とカミナリは凄かった。

全天候型とは言わないまでも
それに近いの空間が一坪でも二坪でも屋外にほしくて
去年、廃材の鋼材を利用して作った
溶接もある程度イメージしていたので
初めてにしては、まぁ、満足できるレベルでできた
屋根だけは新品のトタンを使った
外界との境は農業用のネットを使い
アメリカンハウスのサンルーム的三坪ほどの空間を作ることができた
土間はコーラルをひいた

お湯を沸かし、コーヒーの豆を挽いて
小さなイスと白い丸いテーブルの上で
コーヒーを入れる日曜の朝の空間はできた
豆はメキシコのメルセデス農園か東ティモールの?農園のが好みで
焙煎はフルシティローストだがお店にお任せが無難
土肥コーヒーの宣伝みたいだが
一人の日曜の朝の時間をイメージした空間である


視る人によってはスラムのバラック小屋かもしれないが
雨の日には雨音を楽しめる
結構、満足のいく空間である

でも、現実はそうはいかない
昨夜の雨、爆音である
カミナリ、地響きだった

写真は昨夜の豪雨でできたものではないが
大雨の後にできた水の足跡である
数週間で消えるのであるが

限られた時間だけに存在する空間のはかなさの輝き
人も同じでは
人の輝きはそれぞれ、輝いた数、輝いた時間の長短で人の価値が決まるのではない

いかに輝いた瞬間を感じて、その瞬間、瞬間に立ち会えるか
輝いてるねと認めてあげる事ではないだろうか
自身にとってそれは無駄な感性かもしれない

その無駄な感性が、自身の一瞬かも知れない輝きに重みを増すのだと
勝手に思い込んでる

その無駄な行為をあざ笑うかのように雨はトタン屋根を叩きつけた

イメージした時間と空間に
年に一度出会えれば幸せだろう


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