やねだんの記事が今日も乗っている。うるま市で講演会、公民館館長講演。
以前に地域に取り入れる事はできない研究した事がある。
やねだんはやねだんでしかない。やねだんは地域活動、地域活性化として取り上げられるが本質は人、個人の生き方であり、人生として捉えた方が馴染みやすい。入り方を勘違いしてはいけない。
目的は地域であり、目的の為の活動でしかない。他はそぎ落とし安保法制など政治を大きく持ち出す事もなく
人生をかけた大バカにしか出来ない。技術論に意味などないのに講演するのはやねだんの為の宣伝と割り切らなければできない。
日本でも中国でも関係ないくらいのレベル。歴史に出てくる偉人とはこう言う人だろうな。
思い起こせば、本土なる単語。いつの間にか本土になっている。
沖縄における日本は内地であって本土ではなかったはずだ。復帰運動と共に一般化したか
内地復帰とは、やはり、変だな。行政的政治的な意味では本土なのだろう。
内地なら国内的な意味合いになる。アメリカ施政権下にあり、日本の主権が及ばないから本土復帰になる。ふ〜ん。
復帰前の内地イコール本土ではなく、本土という一人歩きした概念を内包しつつ、意味なく本土を多用し使う事の今とギャップだな。
何れにしろ、大和民族の亜種の言葉使いはキライだな、ムカつく。これが民族感情のハシリだな。
モロ選民意識を感じる
バルカン半島の民族紛争も些細な感情から派生したのかな? 積み重なる月日により増幅されて行く憎しみなのかもしれないな
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