琉球新報を見て日々感じること
8月29日 旧7月14日 土曜日
鹿児島県の知事発言がネットで広がり地方紙にも小さく載る。載せなくても載せても構わない程度の他県の話題、ではナゼに載せたのか。
ネットで広がり話題になったから、問題になった女性軽視差別発言を取り上げてるようでそうではない記者編集者心理がネット心理への依存を現した現象だろう。
県知事の差別発言問題を本気で取り上げるなら、この扱いはない。紙面構成編集の都合で穴の空いた埋めざるを得ないとしても安易な姿勢に感じる。
鹿児島の伊藤祐一郎知事の教育関係者の会議での発言、県教育委員等が参加して全国的な教育委員会への世論ニーズに合わせた記事話題性が切り取られた発言として冷静に見れば分かる。
「高校教育で女子に三角関数のサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になる」が問題の発言。
知事の話の主旨、本題はこの後にある
確かに表現として口が滑ったことは間違いない。
ネットで見た第一印象は発言の問題性はあるが、鹿児島かぁ!地域性としてあって不思議はない発言としか捉えてなかった。
しかし、全国ニュースやこのように地方紙でも取り上げられ、女性差別以上の地域政治のあり方やネットグローバルの情報伝達やコミニティの問題を感じてしまう。
それにしても自民党政治家の発言において、例え話や話始めの掴みの部分の引用の幼さは話題性だけは炎上するが保守性だけで片付けて良いものなのかは保守政治家や政党は考える時期だろう。
自民党若手勉強会などマスコミの偏向報道を議題に勉強会をするより、例え話や掴みとして使える使えないなどの勉強会を優先してやった方が実践的だろう。
鹿児島県の知事の発言の地元と全国の温度差はあるのかないのか。他府県が盛り上がり糾弾する意味はどこまでが許され妥当な範囲なのだろうか。
地元鹿児島県の反応と比例した形が集団的民意の行使条件ではないだろうか。先ずは地域の個別的民意の行使ありきではないか。
日本や韓国、中国の民意感情が相手国の民意や感情に対して、こうあるべきだと強要しているのとは違うのかな。
違いは国内か外国かだけだと思うが。
韓国の詩人、韓成禮ハンソンレさんの「韓国と詩で虹の橋を」の小さな記事も興味を引く。
0 件のコメント:
コメントを投稿